街づくりと江戸野菜「寺島なす」  寄稿:高木 副会長

街づくりと江戸野菜「寺島なす」

寄稿:墨田区三田会副会長 高木新太郎 (昭和41年経済卒)

寺島なす  【寺島なす 】 高木先生 【高木副会長】

寺島なすおはぎ 【寺島なすのおはぎ】

 

 大学定年後は地元との関わりが増えた。今春、孫が二寺小に入学して、母、私、子供、孫と4代続いて通ったことになる。

 現在私が地元で関係している団体は、NPO法人向島学会、すみだ史談会、六三四(むさし)塾、寺島玉ノ井まちづくり協議会(略して、てらたま協議会)などである。いずれも、街づくり、街の歴史等の共通性もあるが、対象範囲、構成員、会の進め方等でそれぞれの流儀があり楽しい。ここでは、てらたま協議会を例にとり、標題のことを述べたい。

 2007年頃(スカイツリーの建設地決定直後)、墨田区から「スカイツリーもできることであり、区も支援するから玉の井地区を人々が集まる場にできないか」という趣旨の提案を、地元商店街が受けた。地元にとり大変ありがたい提案で、地元住民も多数参加し、「玉の井プロジェクト」の名で検討会が発足した。対象地域は玉の井町会と近隣3商店街(玉の井いろは通り、東向島駅前、大正通り)が中心であったが、議論の視野は白鬚神社、向島百花園、木母寺、スカイツリー等の地域資源の連携に及んだ。

 毎月区などと会合を積み、プロジェクトが提示された。変遷を経て、2010年頃「寺島玉ノ井まちおこし委員会」(略称、寺玉委員会)になった。そこでは住民が集まる拠点として、玉ノ井カフェを作った。玉ノ井カフェを基盤にしたイベントが活発化した。こうした街づくりの拠点は重要だが、コストも大きい。区の補助金等では足りず、カフェ運営のため、住民5人が300万円弱の負担をした。

 2014年5月に寺玉委員会から移行したのが、てらたま協議会で、大きく3分野がある。①集会拠点・カフェ部会、②寺島なす部会、③街づくり関連部会である。①は写真展、古本市、豆本づくりワークショップ等。②は寺島なすの苗販売、寺島なすの料理・講習会等。③は街歩き、街の歴史講演、ウクレレ教室等である。また①~③は相互に関連している。

 ここで寺島なすについて略述しておく。我々は当初、地元と関係の深い露伴、荷風、滝田ゆう等の文学路線から出発した。これは有効であり、現在も行っているが、一層の発展のため、江戸野菜の寺島なすを取り入れた。

 寺島なすの歴史は古く、徳川家綱(1650年代)までさかのぼる。徳川幕府は武士等に対する食材確保のため御前栽畑(幕府直轄の野菜畑)を作った。その第一号が隅田村御前栽畑せある。そこで栽培されていたなすが寺島村に伝播し、寺島なすになったと思われる。江戸野菜の中でも古い野菜である。関東大震災により、向島の畑の消滅とともに寺島なすは消えたが、専門家の協力により復活した。現在地元の19店舗で寺島なすを扱っている。

 街づくりの基本は、地元の我が街への心意気だ。墨田に縁のあった皆様、今後とも御協力をお願い致します。

 

2014年8月1日 | カテゴリー : 会員寄稿 | 投稿者 : mitakai