福島秀男顧問(S18政)が新聞に掲載されました/東京新聞H27.8.11

福島秀男顧問(S18政)が新聞に掲載された記事を紹介します。
・東京新聞(H27.8.11掲載)  ・読売新聞(S60.9.27掲載)

墨田区三田会さんの写真←ラジオ体操会場の福島顧問

東京新聞 H27.8.11から

「新しい朝が来た 希望の朝だ〜」
7月31日、東京都墨田区の緑町公園での体操会。青空の下に集まった150人を前に、同区の卸売業福島秀男さん(94)が指導した。

ラジオ体操歴48年、10年以上風邪知らず。

「毎日同じ場所、時間に春夏秋冬の美しさを感じつつ健康に過ごす喜びは大きい。100歳になる2020年の東京オリンピックまで続けたい」と話す。

H27.8.11 東京新聞・掲載記事

墨田区三田会さんの写真

また、昭和60年9月27日に読売新聞からも取材を受けていらっしゃいますので、併せて紹介いたします。

 読売新聞 S60.9.27から

「毎日が理想的な体調でね」。墨田区亀沢で鑢専門問屋を経営する福島さんは自慢のつやつやした髪をかきわけながら胸を張った。

管理社会とかストレス社会、あるいは半病人時代とか言われる現代にあって、「いつも理想的な体調」と自信を持っていうこの人の健康の秘けつは十八年続けている早朝ラジオ体操である。

福島さんの一日を追ってみた。朝五時三十分に起床、六時に街に出る。自宅から隅田川沿いに、三十分間約三㌔の散歩。間に十分間だけ駆け足を入れる。「漫然と歩くだけでもつまらない」と、長年の間にあみだした福島式ジョギングである。目的地はラジオ体操会場の都慰霊堂。三三五五集まってきた参加者は四、五十人。六十歳から八十歳までのお年寄りが多い。

六時半きっかりに、音楽が鳴り始めると、ラジオ体操始まる。第一、第二体操合わせて十分間、身長一㍍六八、体重六十㌔。均整のとれた体が実にしなやかにきびきびと動く。

「朝が早いから、人も車も少なくって静かでねぇ。雨上がりの日なんか、空に浮いているゴミが洗い流されるせいか、空気がきれいで気持ちがいい。それに、春は黒提の桜、夏は新緑、秋は紅葉、冬は雪景色、こんな東京の街中でも、景色があって楽しいものですよ」。そう語る福島さんは、身を乗り出し、目を輝かせ実に楽しそうだ。

三代目の江戸っ子である。祖父、由太郎さん(故人)が明治十四年に福井県から上京。今、ヤスリ問屋を営むこの地で、ヤスリ製造会社を経営、二代目三郎さん(故人)、秀男さんと続く。その間百四年間。関東大震災、東京大空襲、終戦という激動の歴史をくぐって来た。

震災では、祖父と家族と使用人など二十人が被服廠(現都慰霊堂付近)で焼け死に、祖父と三男で福島さんの父、三郎さんとその弟が生き残った。

太平洋戦争では、福島さんも昭和十八年から二十一年まで三年間、北京、南京などの各地を転戦。復員してみると、大空襲で、土蔵を残しすべて灰になっていた。

「家族が無事だっただけでも幸運でした」と福島さんは当時を振り返る。

終戦の翌年に帰国して、ヤスリ卸問屋を再開、戦後の混乱の中で無我夢中で働いた。

「これで何とか食って行けそうだ」と生活にゆとりが感じられるようになったのは、高度成長期の昭和四十二年ごろ。ふと気づくと、五十の坂も間近で、長年の無理がたったのか胃の具合が悪いかと思えば、肩がこったり、いつも何やら体調がおもわしくない。そのころ近所で早朝ラジオ体操をしているのを聞き、軽い気持ちで参加したのが習慣になった。

「年齢的にも経済的にも、ちょうど私の人生の転換期にであったかもしれません」と、福島さんはいう。

朝早く起きると、昼の時間がたっぷりとある。その時間を利用して、福島さんは五年前から詩吟も始めた。ラジオ体操のおかげで声がよく出るせいか、最近では同門の競演会などで優勝するまでに上達した。

「たかが十分間のラジオ体操が、これほど後半生を充実させてくれるとは、思いもよりませんでした。福島さんは、かけがえのない友をいつくしむようにそう語った。

 S60.9.27 読売新聞・掲載記事↓

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2015年9月30日 | カテゴリー : 会員寄稿 | 投稿者 : mitakai