200人が一つの輪になって歌った慶應賛歌 寄稿:瀧澤緑郎会長

200人が一つの輪になって歌った慶應賛歌

寄稿:墨田区三田会 会長  瀧澤緑郎(昭和41年卒業)

スカイツリー三田会IMG_1541IMG_1566IMG_1547

  墨田区三田会は1987年10月16日錦糸町ロッテ会館で発開式が行われてから、26年の時が流れた。

  昭和22年に墨田区が誕生するまでは向島区と本所区に分かれており、三田会活動も暫く別々に考えられていたようである。

  私の住んでいる鐘ヶ淵、向島では昭和31年から32年頃、当時の隅田川沿いにあった旧大倉別邸で名称は定かではないが、隅田三田会が開催された。中等部在学中に出席したことを今でも鮮明に覚えている。恐らく本所地区でも同じように開催されていたことと思う。昭和60年代に墨田区三田会として再発足されたが、それ以前の当時のことを覚えてらっしゃる先輩に是非お話を伺いたいところである。

  昭和62年に再スタートしてから塾長には3 度ご臨席いただいている。もちろん単独の三田会では成し得ないので、近隣三田会と共に開催した合同三田会でのことである。

  最初は平成5年2月9日当時の石川塾長のご臨席をいただき二、三回目と同じ浅草ビューホテルで盛大に開催され、私も一会員として出席していた。このとき「東京下町合同三田会」の名称で、相澤初代墨田区三田会会長や山口江戸川三田会会長(いずれも故人)をはじめ台東、江東、足立、荒川らの会長、役員のご尽力により六地域の三田会が一堂に介して開催された。

  二回目は翌年の6月25日に鳥居塾長の時に開催されたが、残念ながら私は欠席していたようである。

  三度目が昨年11月30日に開催された「スカイツリー合同三田会」である。この年開業した東京スカイツリーの母体である東武鉄道の沿線の墨田・台東・足立の会長が昭和41年卒業同期ということもあり三区合同の三田会開催に至った。清家塾長にご臨席頂き、元田、鈴木両会長や小坂名誉会長と共に同じテーブルでお話しする機会を得た。200人を超す出席者はさすが隣接区であり、知り合いも多くあちらこちらで歓談の輪が広がった。

   祝宴では珍しいことではあるが、浅草・向島の芸者衆が同じ舞台で踊りを披露し、獅子舞が客席を練り歩くなど、楽しい時が過ぎた。最後は応援指導部、チアリーダーのリードにより若き血、慶應賛歌を200人が肩を組み、一糸乱れず大きな一つの輪となって波打ち熱唱した。

   一年経った今でもこの光景が目に焼き付いて離れないのは私だけだろうか。この感動をまた味わいたいものだ。

 

2013年12月2日 | カテゴリー : 会長寄稿 | 投稿者 : mitakai