「気品の泉源はダイエットにあり」寄稿:稲嶺幹事長

寄稿:墨田区三田会 幹事長 稲嶺清孝(昭和55年経済卒)

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昭和55年(1980年)経済卒業の稲嶺です。

下町育ちの粗忽者で、まちがっても上品とはいえない雰囲気を持っていますが、慶應義塾の目的として掲げられている「気品の泉源、知徳の模範」という言葉が大好きです。

気品のある人間になりたいと思い続けています。

日吉の高校に通っているころから、友人の勧めでオーケストラの会員になって月に一度音楽鑑賞を始めました。東横線のなかでクラッシクの楽譜(スコア)をみて「気品のある生活だなあ」とひとり悦にいっているという高校生でした。ちなみに音符は読めないので、今風にいう「エア・クラッシクファン」というインチキをやっていました。

それからも「気品ある人生」への憧れは続きます。最近ではワインに詳しくなって気品を身につけようと思い立ち、ワインのセミナーに出席したり各地のワイナリーを廻ったり、はたまたボジョレヌーボー解禁といえばホテルで深夜にカウントダウンして大騒ぎをして新酒を飲んだりしていました(写真)。

「このワインのブドウはピノノワールに似ているね?」などと周りに圧(あつ)を与えながら、少し上品な人間になったような錯覚に陥っていました。しかし、もともとアルコールに弱いうえ、味覚も乏しかったのでワインの道は究めることはとうてい無理だとすぐに気づきました。

あるお店でワインと思って飲んでいたのが日本酒だった時には自分自身ガッカリしました。去年からはウイスキーのわかる「大人の気品」に触れようと思い立ちましたが、これも暗礁に乗り上げています。

ここはひとつ考え方を変えて、気品を藤原正彦氏の「国家の品格」でいうような武士道に求めようかと思っています。

武士は食わねど高楊枝。この精神でいこう、がつがつ食するのではなく、我慢に我慢を重ねる、これが品格だ、気品だ、と結論づけようかと思います。

つまり気品ある人間はブクブクせずに、すっきりした体型でなくてはいけないのだ、と思いはじめています。とはいうもののあいかわらず食欲は旺盛で何を食べてもおいしいし、何より空腹に弱くて、我慢してもすぐにへこたれるのですが…。

近日中に気品ある人間になる予定です。

皆さんとお会いした時に「すっきり、スマートな体型」になっていたら一歩「気品」に近づいていると思っていただきたいと思います。

 

2015年7月14日 | カテゴリー : 幹事長寄稿 | 投稿者 : mitakai

甲子園で再び塾歌を 寄稿:伊東 卓 幹事長

「甲子園で再び塾歌を」

 寄稿:墨田区三田会 幹事長 伊東 卓(昭58法律卒)

 私はかつて甲子園を目指す高校球児だった。もっとも、中学ではバレーボール部で副将だった。それまで野球は素人だった。にもかかわらず、高校入学と同時に、友人と一緒に野球部に飛び込んだ。二人で「甲子園に行こう!」と申しあわせたのだ。その友人は水泳部の主将だった。無謀だった。

 入部したのは、塾高野球部である。野球部の練習は長くて厳しかった。入部した日から苦難の道のりが待っていた。初めて手にする硬球は硬いし、重いし、速いし、痛い。いつになったら慣れるのだろうと思いながらも、やることは球拾いとグラウンド整備。夜遅く帰宅してからは一人でバットスイング。何とかして追いつこうと必死だった。何人もの仲間がグラウンドから遠ざかっていった。やがて、硬球にも長い練習にも慣れ、何とか続けられそうな気がしてきた。いつしか憧れのKEIOのユニフォームに袖を通し、最後には背番号7のレギュラーになってクリーンアップも打った。

 そうやって苦労はしたものの、自分達にとって甲子園は果てしなく遠かった。県大会では、桐蔭学園、東海大相模、横浜とも対戦した。どうにもならない相手だとは思わなかったが、勝てなかった。おまけに1年生の時の3年生には原辰徳、3年生のときの1年生には愛甲猛というスーパースターまでいた。大志を抱いて始めてはみたが、甲子園に行けそうだと思ったことはなかった。やがて、高3の夏の大会がやってきて、3回戦で開設間もない横浜スタジアムで東海大相模と対戦して大敗し、現役を終えた。

 結局、夢がかなうことはなかったが、塾高で野球をやってみてわかったことが三つある。一つは、世の中にはとてもかなわない才能の持主がいるということ、二つめは、たとえ才能や業績では劣っていても、努力や工夫次第では勝ち負けはわからないということ、三つめは、一人では到底できそうもないことでもチームが一丸となって取り組むとできてしまうということである。現役も終わりに近づいてからそんなことに気付き、本当に真剣に追及していたらもっとできたことがあったのではないか、という思いを抱くようになった。司法試験の勉強をするなどと称して法学部に進んだため、大学では野球を続けなかったが、そんな思いから大学1、2年生のときには学生コーチとして後輩の指導をした。しかし、それでも夢はかなわなかった。

 その夢を受け継いだ後輩達が、27年の時を越え、平成17年春選抜に出場した。夢の実現までに長い時間がかかった。選抜決定を知らせるメールを読んだときは、本当に嬉しくて、電車の中でポロポロと涙が出た。塾高が1回戦で関西高校にサヨナラ勝ちし、甲子園に塾歌の大合唱が鳴り響いたときには、テレビの前で大声をあげて泣いた。

 その後の後輩たちの戦績は、皆さんもよくご存知であろう。平成17年春選抜に出場しベストエイトまで進出したメンバーは、夏の神奈川大会で横浜にも東海大相模にも勝利したが、決勝戦で桐光学園に涙を飲んだ。平成20年春選抜に出場したメンバーは、北神奈川大会決勝で延長の末東海大相模を下して46年ぶりに夏の選手権大会に出場し、全国ベストエイトに輝いた。その秋は、神奈川大会を制し、関東大会でも優勝、勢いに乗って明治神宮大会でも優勝して全国制覇を果たした。平成21年春選抜大会には3期連続で甲子園に出場したものの1回戦で敗退、その後は甲子園出場から遠ざかっている。

 塾高野球部のOB会を日吉倶楽部という。現在、その事務局を務めているが、その理由は、ただひたすらに甲子園で塾歌を再び歌いたいがためである。そのために、せっせと球場に通い、同年代の仲間と肩を組み、県大会を戦う後輩たちを応援している。応援するうちに、同じ思いを抱いているたくさんの人がいることを知った。その思いは、塾高野球部の一同にひしひしと伝わっている。

 いつかまた塾高野球部と共に甲子園に行く。そして、甲子園で再び塾歌を歌う。苦くて酸っぱい青春の夢は、塾高野球部の後輩たちと共に、まだ続いている。

 

 写真集:下【 思い出の甲子園。夢よもう一度!(慶應義塾ホームページより)】

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2014年1月21日 | カテゴリー : 幹事長寄稿 | 投稿者 : mitakai